院長:成田 貴徳 Takanori Narita

経歴 

国際武道大学体育学部在学中からスポーツトレーナー活動を始める。 卒後スポーツインストラクターとして新潟市の体育施設に勤務。その後大川カイロプラクティック専門学院入学し、在学中から品川区の整体院に勤務し4年で院長を任される。施術の傍ら母校での技術指導も務め後輩の指導にも力を注いだ。そして、2017年4月に千歳烏山整体院を開業し、世田谷区をはじめ三鷹市、調布市から年間2500人以上の施術を担当している。

田んぼと海と山に囲まれた新潟県の田舎村で育ちました。

職人気質で大工の父と、銀行員の真面目な母の元に産まれ姉と妹の5人家族で育ちました。田舎の風景

 幼少期は、活発で友達よく取っ組み合いのケンカをしていました。当時の同級生、特に女子には子供の頃は怖い存在だったけど、いまは優しくなっていて別人かと思ったと、同窓会などで会うとよく言われます。

 小学校4年生から野球を始め、チームは弱かったもののエースで4番、今思うとお山の大将だったと思います。

 中学校になり顧問の先生が大変熱心な方で、体の使い方や効率的なトレーニングの方法、食事方法を学び、その頃から体のことに興味を持つようになりました。トレーニングや、栄養学、生理学などの本を好んで読むようになりました。

 高校に入り、勉強はおろそかに毎日野球部の練習のためだけに学校に通っている状態でした。

初めて経験した腰痛

 毎日授業後の部活動、夜遅くまでの自主練習でオーバーワーク気味の時期に初めて腰痛を経験しました。腰痛の画像

 練習中は、腰に違和感を感じながら練習し、授業中は座っていることが出来ないほどの痛みで、立って授業を聞いていました。立って授業を聞いていると寝ることもないので、この時期成績が少し良くなったのは笑い話です。

 なかなか時間が経っても痛みが引かないことから、整形外科を受診しました。

 レントゲンを撮り、それを診た医師に長座体前屈と、腹筋をするように促されやってみせると「体が硬い!腹筋が足りない!ストレッチをして、腹筋をやれば治る。」と言われ診断は終了。

 当時は痛みで前屈も腹筋も出来なかったため、元々体が硬いわけではないし、腹筋も多い時では1日500回ほどやっていました。

 痛みで出来ないことを伝えても、それ以上話を聞いてくれることもなく初めての診察がトラウマでその後、診断を受けることはありませんでした。

 その後、独学でトレーニング方法を見直し、部活動に復帰することが出来ました。独学の副産物として、同じように腰痛で苦しむチームメイトにもトレーニング方法を指導して腰痛が改善し喜ばれたこともありました。

 残念ながら、甲子園には出場できませんでしたが、いずれはチームを率いて甲子園に出場する夢が芽生え高校教師になるべく、また野球部も強豪である国際武道大学への進学を決意しました。

腰痛の再発、挫折、それから…

 大学進学後にすぐ野球部に入部するために、受験勉強でなまった体を鍛え直そうと練習を再開するとすぐに腰痛の再発、右肩の故障に見舞われます。

 入学後のメディカルチェックで腰椎椎間板ヘルニアを診断され、入部直後から故障者リストに入りリハビリでグラウンドに入れない時期が半年ほど続きました。

 腰痛は自力で治した経験もありすぐに良くなったものの、右肩の痛みはなかなか取れることがなく、20メートルも全力で投げれないほどになってしまいました。

 同期にはその後プロ野球に入団した選手もおり、このまま4年間続けても選手としては難しいと決意し野球部を退部、大学内にある選手をサポートするトレーナーチームという組織に入りトレーニングやリハビリなどを勉強する道に進みました。スポーツトレーナー

 各種部活動で故障した選手のリハビリやトレーニングに付き合う中で、プレイヤーとして活躍できていないストレスを感じ、痛みがあって思うようにプレーできない辛さを自分だけでなくサポートする選手からも学ぶことが出来たのは今の仕事につながる良き経験でした。

カイロプラクティックとの出会い

大学卒業後、地元のスポーツ施設でトレーニングの補助や体操教室での指導の仕事を始めます。

 利用者は、中高生や大学生の運動部員からスポーツ愛好者の高齢者まで幅広く、それぞれ求めるものや悩みはバラバラです。

 そんな利用者から、「膝が痛くて走れない。」「持病の腰痛が怖くて思い切り運動できない。」「肩を痛めてリハビリ中。」などの相談をよく受けました。膝痛のカウンセリング

 それまでに、勉強してきた知識で様々なトレーニングやストレッチを指導するものの、「痛くて出来ないよ。」「腹筋すれば腰痛治るって言うけど、普段からやっているよ。」と言われ自分自身が初めての整形外科で発したのと同じ言葉が返ってきました。

その頃から、トレーニングやストレッチでは解決出来ない痛みを改善する方法はないのか、痛みでやりたいことが出来ていない人を助けることは出来ないのかを考え始めることになります。

 鍼灸の学校説明会に行ったり、色々な学校の資料を集めている中で「大川カイロプラクティック専門学院」の大川D.Cの著書に出会い筋肉・関節の治療だけでなく生活習慣にまでアプローチする考えに惹かれ入学を決意しました。

 大川カイロプラクティック専門学院入学後は、同じ道を志す同級生たちと授業の後も夜遅くまで練習し、学費を支払うために新聞奨学生として毎日新聞配達をして生活していました。

配達区域が、六本木・赤坂だったため金曜日や土曜日の配達はなかなかスリリングで楽しいものでした。

大川カイロプラクティック専門学院在学中からいくつかの整体院にインターンに行く機会をいただき様々な院の施術の仕方などを学ばせていただきました。

楽しくも辛かった修行時代

 大川カイロプラクティック専門学院を卒業後、大川カイロプラクティックセンター武蔵小山整体院に就職し3年後スタッフから院長に昇格し年間2000人のべ10000人を超える臨床経験を詰ませていただきました。整体師の画像

 6年間の修行時代は、順風満帆ばかりではなくなかなか改善しない患者さんもおり、毎日が試行錯誤の日々でした。

 そんな修行時代でしたが、なかなか完全には良くならならないにも関わらず来院してくれる患者さんから、「先生に大丈夫です!って言われてその時に気持ちが楽になった。痛みは完治してないけど以前より随分楽に生活出来ているのよ。」他の方からも「先生と話してると楽になる。」とありがたい言葉をいただきました。

 神様のようになんでも一瞬で治すなんてことは出来ません。

 時々一回の施術で見違えるほど良くなって患者さんに「すごい!ゴッドハンドですね。」なんて私でも言われる迂闊にも有頂天になることがありますが、治しているのは患者さん自身の体の力、私たちはあくまでもその患者さんの治る力が発動するきっかけ作りに携わっているだけ、そこに本当の意味で気が付けたときもう一つステップアップしたいと思うようになりました。

千歳烏山整体院との出会い、そしてこれから

より自分の理念に沿った治療院を作りたいと模索していた矢先に、千歳烏山整体院の前任院長が辞めるから誰か引き継がないかと相談を受けました。

世田谷区にはいままで住んだこともなければ、京王線には高尾山に行くときに2回乗ったことがある程度、全く知らない街でした。
引き継ぐかどうかは別にして一度、街を見てみようと訪れました。

賑わいのある商店街、大丈夫か?というくらいはみ出した看板。チェーン店は多少あるけれど、個人でやっているお店が多く街が人が生きている。にぎわいがあっていい街だなと一発で好きになりました。

千歳烏山の街の人間になれるように、これから地道に時間をかけて慣らしていくつもりです。

私の仕事にゴールというものはありません。

今回の開業はスタートラインに立った状態です。

今後も、研鑽を辞めてしまえば衰退するだけです。いまでも全国の治療仲間と定期的に会い研鑽を続けています。

今後はこの千歳烏山だけでなく、調布市からも来院をいただいている患者さんの生涯の健康サポートを末永く根をおろして行っていきますのでどうぞよろしくお願いいたします。

 

                 2017年4月1日 成田貴徳

 

 

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